私が初めて沖縄を訪れたのは、今から半世紀近く前のことです。
沖縄県伊平屋島。
真っ青な海と、珊瑚が砕けてできた真っ白な砂浜。その景色は、今も変わらず私の心に残っています。
「この素晴らしい島を、多くの人に知ってほしい」
「私たちが扱っているもずくが、こんなに豊かな自然の中で育っていることを伝えたい」
伊平屋を訪ねるたび、そんな思いは強くなっていき、会社経営も少しずつ軌道に乗り始めた頃、「地域のために何かできることはないだろうか」と考えるようになりました。
今振り返れば、その思いの根っこには、取引先である生活協同組合との出会いがあったように思います。
もずくを育てる人がいて、それを商品にして届ける人がいる。そして、その先には食べてくださる方がいる。生協はそうした人と人とのつながりを何より大切にしていました。
私は、もずくの取引を通して、そうした考え方を学んできたのだと思います。
もし生協との出会いがなかったら、この交流事業を思いつくこともなかったかもしれません。
私たちの地元であり、山陰有数の漁業の町・境港市。
そして、もずくの産地・沖縄県伊平屋島。
この二つの地域の子どもたちを交流させたい。
そう考えたのが、この事業の始まりです。
「境港の子どもたちには、伊平屋の美しい海を見てもらいたい」
「伊平屋の子どもたちには、島のもずくに誇りを持ってもらい、大山の雪やスキーを体験してもらいたい」
そうした思いから、1996年に交流事業がスタートしました。
お互いの地域を訪ね、自分の目で見て、実際に体験する。
伊平屋と境港、それぞれに違った景色や暮らしがあります。
遠く離れた土地にも、自分たちと同じ年頃の子どもたちが暮らしている。
そして、自分たちを迎えるために、食事を用意し、さまざまな体験の場をつくり、家族のように迎えてくれる人たちがいる。
そういうことを、自分の目で見て、肌で感じてほしかった。
そして、「してもらって当たり前」と思うのではなく、人の温かさやありがたさを感じられる人になってほしい。
それが、私の願いでした。
「こんな人に会った」
「こんなことをしてもらった」
「こんなことを初めて知ったよ」
家に帰って、一生懸命家族に話す。
そんな我が子の姿を見て、親が「成長したな」と感じる。
私は、それが教育だと思っています。
気がつけば、この交流事業も30周年を迎えました。
かつて参加した子どもたちが大人になり、親となり、今では親子二世代で参加する例も生まれています。
30年続けてきたからこそ生まれたご縁であり、私にとっても大変うれしいことです。
もちろん、この事業は私一人の力で続いてきたものではありません。
境港市、伊平屋村、境港市教育委員会、伊平屋村教育委員会、伊平屋村漁業協同組合、山陰中央新報社、子どもたちを受け入れてくださったご家族、地域の皆さん。
そして、長年にわたりこの交流事業に共感し、支えてくれた社員の皆さん。
多くの方々のお力があって、今日まで続けることができました。
心から感謝しています。
最後になりましたが、西銘仁正さん。
寄稿の最後にあった「ありがとう。お互いに頑張りましょう」。
私からも同じ言葉を贈ります。
「ありがとう。お互い、もう少し頑張って、元気でいましょう。」
そして、これからを託した美樹雄のことも、どうぞよろしくお願いします。
私たちがつないできたこのご縁が、これから先も長く続いていくことを願っています。
当時、私は31歳。村議会議員として、漁業協同組合の設立をめざして活動していた。私は漁業の経験はまったくなく、手探りの状態で村の漁業の方向を模索していた。ちょうどその頃、沖縄県では「モズク」の海面養殖試験が水産試験場においてすすめられており、私もここに着目し、漁業協同組合の設立と養殖事業の振興をもって村の振興発展を図ろうと考えをめぐらしていた。もともと伊平屋島の浅海には、時期になると天然のモズクが海を埋めつくすほど繁茂しており、漁師は時期になるとそのモズクを採取し、浜で買付業者に現金で売り渡して稼いでいた。
沖縄県水産試験場での養殖試験の開始と、本土の買付業者による浜での買付とが重なるなか、時期を得たように、島根県の木村商店の木村隆之社長(当時、現・株式会社海産物のきむらや会長)からモズク取引きの商談が舞い込んできた。私にとっては、真に渡りに船であった。急ぎ那覇に出向き、面談となった。
木村社長(当時)の第一印象は、やせ細った青年であった。話がすすむと「モズクで日本一になりたい」と、夢のはなしを熱っぽく語り続けていた。私はモズクを売りたい立場から、この夢のある話に感動した。私の目ざしている産業を背負っている男だと思った。そして、モズクの取引きの話になった途端、「自分は今はお金はないが、モズクを売って必ず返すので、200缶(200万円相当)のモズクを送ってほしい」との強い要望があった。私は一瞬戸惑ったが、「モズク」で日本一になる熱い夢のある男の目にくもりはないことを信じ、島に戻って200缶のモズクを送った。その後は、無我夢中で日本一のモズク屋をめざして走り抜けてきた。二人三脚で全国各地を走り回った男という気がする。
彼は、モズクの味付加工については格別なこだわりがあった。口ぐせのように、料理としての味を一般の人たちに食べてもらいたいと、強いこだわりをもっていた。生活協同組合に供給している味付モズクは、彼のこの考え方から生まれたものだと考えている。また、味付モズクの開発には、大阪いずみ市民生活協同組合をはじめ、奈良市民生活協同組合、かながわ生活協同組合など、多くの全国の生協との協力なくしては成功しなかったと思っている。
大阪いずみ市民生協の組合員さんとの産地交流は、他の生協にも大きく広がっていった。伊平屋島にとって、100名を越える人数での産地交流は、過去にない初めての交流活動であった。鳥取県境港市の小学校と伊平屋島の小学校の児童・生徒による夏と冬の交流事業も、これまでの交流活動が原点になっていると思う。モズクで日本一をめざした彼の心の底から生まれた「人と人の出会い、ふれ合い、人にやさしい食品」は、木村社長(当時)の企業活動の原点になっているのだろう。
境港市と伊平屋島の交流事業への取組みについては、木村社長(当時)から提案があったとき、年間500万円以上の資金が必要であり、継続しなければ意味がでてこない事業となると心配はしたが、反対はしなかった。これが30年も続いたことは、奇跡的としか言いようがない。企業は良い時も、悪い時もある。それを30年間も続けてきた木村会長に対しては、感謝とご苦労さんしか言葉はない。ありがとう。これからも、身体に気をつけて頑張って下さい。お互い頑張りましょう。
境港市・伊平屋村教育交流事業は、30年目の節目を迎えました。海産物のきむらや様から長きに渡ってご支援を賜り、本市と伊平屋村の多くの子供たちが、互いに訪問しあい、交流を深めてまいりました。交流活動を通して得た数々の感動は、これまで参加してきた子供たち一人一人を大きく成長させてきたことと思います。これまでの多大なるご貢献に対し、深く感謝申し上げます。
境港は三方が海に開かれ、日本有数の水揚げを誇る「水産の町」です。本市では、美しい海を守るため、また豊かな漁場を維持するために、境港ブルーカーボン推進事業等、中海・美保湾の環境保全活動を推進しています。境港市も伊平屋村も、どちらも「海」とともに生きる地域です。海産物のきむらや様は、もずくを通じて境港市と伊平屋村をつなぎ、もずく産地の環境保全に取り組んでこられました。そのきむらや様の熱い思いのもと、境港の子供たちが現地を訪れて沖縄の豊かな海を全身で感じ、伊平屋村の子供たちと互いの住む地域について語り合うことは大変意義深いことです。
この交流事業を通じて、双方の子供たちが互いに交流することで、自分たちが暮らす地域への理解と愛着をさらに深め、豊かな海を未来へ繋ぐ守り手としての意識や地域を超えた連帯感を育んでいってほしいと願っております。
(株)海産物のきむらや様におかれましては、これまで長きにわたり、安全で高品質な海産物の提供を通じ、食卓に笑顔と豊かな食文化を届けて頂いております。
又、きむらや様の社会活動の一環として1996年に始まった本村と鳥取県境港市の児童間交流も30周年の節目を迎えております。毎年教育交流事業においては、島の子供達も夏に受け入れた境港市の児童と冬に会うことを楽しみにしており、毎年新たな「絆」が生まれています。これも偏に、木村隆之会長をはじめ木村美樹雄社長の元、従業員の皆様のご支援と関係各位のご尽力の賜であると深く敬意を表します。
特に、過去の参加者が社会人となり、もずく生産者として原材料の供給や、教育委員会の職員として事業に関わるなど新たな関係も生まれております。
令和8年2月17日には「第23回企業フィランソロピー大賞」を受賞されたことはきむらや様の継続した社会貢献が評価された証であり、本村にとってもまことにうれしい限りです。
最後になりますが、(株)海産物のきむらや様と本村との関係が40周年・50周年と続き、教育交流事業としての境港市と伊平屋村との交流が新たな価値や未来に向けての飛躍を遂げられる取り組みとして、今後も変わることなく継続されることを祈念申し上げ、ごあいさつといたします。
1996年(平成8年)に始まった境港市と伊平屋村の子供たちの交流は、早いもので30周年を迎えます。海産物のきむらやの木村隆之会長が、未来を担う子供たちにもずくが育つあの美しい海をぜひとも見せてやりたいとの思いから始まった本事業は、今でも毎年5年生が訪問しあい、交流を深めあうサマースクールとウインタースクールという形でお互いの親睦と友情を深め豊かな心を育んでいっております。交流した子供たちの中には、成人した今でも文通のやり取りをして嬉しい時も苦しい時も支えあい、なんと教育委員会事務局職員として再会を果たしたという感動的なエピソードも生まれています。境港の子供たちにとっては、見たこともない美しい海やサンゴ礁を満喫するダイビング、伊平屋の子供たちにとっては、初めて見る雪や大山でのスキー体験。目を輝かせ体験に取り組む子供たちの姿は、いつの時代も変わらず微笑ましいものです。お互いの訪問先では郷土料理でもてなしてもらいながら、食卓にはいつも、もずくのてんぷらや酢漬けのもずくなど、きむらやさんが結んでくださった教育交流を象徴するもずくがさりげなく置かれています。遠く離れた子供たちの交流は、一朝一夕にできたものではありません。きむらやさんの熱き思いと30年の歳月をかけてゆっくり培ってきた成果でもあります。細いもずくがつなぐ、太い教育交流に今後も期待しております。子供たちの豊かな情操をこれからも育んでいってほしいと切に願っております。
境港市・伊平屋村教育交流事業が30周年という大きな節目を迎えられましたことを、心よりお祝い申し上げます。
本事業は、「モズク」のご縁をきっかけに平成8年度(1996年)から始まり、鳥取県境港市と沖縄県伊平屋村の子どもたちを結ぶ貴重な交流として今日まで受け継がれてまいりました。夏の伊平屋村でのサマースクール、冬の境港市でのウインタースクールを通し、これまで多くの児童が互いの地域を訪れ、友情を育みながら学びを深めてきました。令和7年度には、第1回参加しました本村児童が今では父親となり、娘が参加しています。
この交流は、単なる体験活動にとどまるものではありません。伊平屋村の歴史や文化を改めて見つめ直し、美しい珊瑚礁の海をはじめとする豊かな自然の中での体験学習を通して、ふるさとの魅力に気づき、その価値を自ら発信する力を育むことを目的としています。また、異なる風土や文化に触れることで、多様な価値観を学び、広い視野を養う機会ともなっています。
30年間にわたり本事業を支えてこられました保護者、学校、漁業協同組合、教育委員会の四者の皆様のご尽力に深く感謝申し上げます。さらに、本事業を企業フィランソロピーの理念のもと継続的に支援してくださっています「株式会社海産物のきむらや様」 に対し、心から敬意と感謝を表します。
これからも両地域の絆を大切にしながら、未来を担う子どもたちの成長につながる交流を更に発展させてまいります。
「伊平屋の海を境港の子どもたちに見せたい・・・」
その時の木村隆之会長の優しく温かい目が忘れられない。大自然の中で体験活動を行うことで、海や山の美しさや気候の違いを体感してほしいという願い、そして何より境港市と伊平屋村の子どもたちがつながり、絆を深めてほしいという強い信念を感じた瞬間であった。
私は、境港市伊平屋村教育交流事業に6回参加させていただいた。伊平屋村の美しい海、そして何よりも伊平屋村の皆さんの心の温かさを強く感じる交流事業であった。新型コロナウイルス感染症のため中止となった令和2年度、令和3年度のリモート交流、感染症拡大防止のためサマースクールが秋に延期になった令和4年度、いずれも海産物のきむらやの皆様と子どもたちの安全・安心を第一に考えながら協議し、この交流事業を継続できたことは、非常に価値があり、境港市と伊平屋村の子どもたちや関係者の絆が年々、深まっていると強く実感している。
私の大きな楽しみは、子どもたちとの出会いであり、ある意味、この交流事業に参加する子どもたちが「自分の教え子」という感覚であった。毎年、教え子が増えていき、そして、この交流事業を通して大きく成長することが大きな喜びであった。
今後もこの交流事業が継続されることを切に願うとともに、これまでに参加した子どもたちが、立派に成長し、ボランティアとしてこの交流事業に関わってくれる日を楽しみにしている。
平成9年7月、鳥取県境港市の児童たちが伊平屋島を訪れました。初めて出会う友達。どこか大人びて見えた境港の子どもたちとの交流は、当時の私たちにとって大変刺激的で、話し方や生活環境も異なる彼らとのサマー交流は、新しい世界との出会いそのものでした。
きむらや様のご寄付により実現した本事業は、私たちの代が初めての相互訪問交流であったこともあり、クラス全員が大いに盛り上がりました。一緒に海に潜り、島中を駆け回り、BBQを楽しんだあの日のことは今でも鮮明に覚えています。普段から見慣れている伊平屋の海も、境港の友達と過ごしたことで、これまでで一番輝いて見えました。
同年12月には幸運にもクラス代表としてウィンター交流に参加し、大山の真っ白な雪景色や初めてのスキー体験に大きな感動を覚えました。
そして大人になり、島へ戻ってからは伊平屋村教育委員会職員として本事業に携わる機会をいただきました。参加者だった私が運営側となり、この事業が30年にわたり継続されていることの尊さを改めて実感しています。
児童引率として参加した令和6年度のウィンター交流では、5年生の時の交流学習で仲良くなった境港の友人が会いに来てくれました。29年ぶりの再会でしたが、当時と変わらぬ温かさに触れ、この交流が人と人との縁を育み続けていることを実感しました。本事業を30年間支え続けてくださったきむらや様のご厚意に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
今年は30回目の記念の回ということで、わがままを言って、サマースクールに引率として同行させてもらいました。
実際に参加してみて、まず驚いたのが事前学習でした。
境港には6つの小学校があり、選ばれた12名のほとんどは初対面。それが3回の事前学習を重ねるうちにすっかり打ち解け、「伊平屋の子どもたちに境港の魅力をどう伝えるか」を、自分たちで体験し、考え、準備していきます。その結束力と積極性には、本当に驚かされました。
伊平屋に着いてからの日程も、朝から晩までぎっしり詰まっています。ただ忙しいのではありません。観光のように何かを「見せてもらう」のではなく、初めて会う同学年の子どもたちや地域の方々と一緒に過ごし、ご飯を食べ、体験する。
挨拶の出番も一人ひとりにまわってきます。夜には境港の子どもたちだけで反省会を開き、翌日をどう過ごすかまで話し合う。すべてが、子どもたち自身が考え、動くように設計されていました。
30年の試行錯誤が、この一つひとつに詰まっているのだと感じました。
そして、伊平屋の大人たちが子どもたちを迎える姿にも心を打たれました。
沖釣りでは、漁協や海人の皆さんが全面的に協力してくださいました。「乗った子どもたち全員に釣らせたい」という思いがあったのでしょう。ほとんどの子どもたちがアカジンミーバイを釣り上げ、喜ぶ姿を見ることができました。
2日目の夜には、関係者の皆さんが手作りで花火大会を開いてくださいました。
子どもたちが手持ち花火に火をつけ、その後は大人たちが一つずつ打ち上げていきます。花火が上がるたび、出会ったばかりの友達と肩を並べた子どもたちから、大きな歓声が上がりました。
同じ夜、境港ではみなと祭の花火が上がっていました。
規模で比べれば、敵わないかもしれません。それでも子どもたちは皆、「みなと祭よりすごかった!」と目を輝かせていました。
きっと、花火そのものではないのです。
自分たちのために、地域の大人たちが一生懸命準備してくれたこと。そして、そこで出会った友達と一緒に見たこと。その時間そのものが、子どもたちにとって特別だったのだと思います。
今回、実際に引率してみて、この事業が子どもたちに手渡しているものは、海やスキーの体験だけではないのだと強く感じました。
30周年を機に、パネル展や特設サイトを通じて、OB・OGからたくさんのメッセージが寄せられました。
そこに綴られていたのは、「海が綺麗だった」「スキーが楽しかった」という思い出だけではありませんでした。
「視野が広がった」
「知らない世界を知った」
「大切な友人に出会った」
そんな言葉が数多くありました。
そして嬉しかったのは、それが過去の思い出で終わっていなかったことです。
参加をきっかけに数十年にわたる友情を育んでいる人。親となり、自分の子どもにもこの交流を経験させている人。教員となり、自らが交流で学んだことを生徒たちに伝えている人。そして今度は運営する側として、この交流を支えている人。
30年前に受け取ったものが、それぞれの人生の中で生き続け、形を変えながら次の世代へ渡っています。
それこそが、この交流事業が30年続いてきた意味なのではないかと思います。
伊平屋と境港。同じ日本でも、暮らしや価値観には違いがあります。
その違いに触れ、自分とは違う考え方や生き方を知る。そうすることで、自分の世界もまた広がっていきます。
その最初の機会を、この交流事業は担っているのだと感じました。
そして、自分たちのために誰かが一生懸命になってくれたことを知る。
地域の宝として迎えられ、大切にされたことを、どうか忘れないでほしい。
その記憶は、いつか自分が誰かのために何かをするときの力になるのだと思います。
30年間、この交流をつないできてくださった多くの方々に、心から感謝いたします。
そして私も、このバトンを受け取った一人として、もずくが結んだ伊平屋と境港のご縁を、これからも次の世代へつないでいきたいと思います。